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大阪地方裁判所 昭和56年(行ウ)41号 判決

藤井寺市国府1丁目3番47号

原告

津守光男

藤井寺市国府1丁目3番28号

原告

津守徳雄

藤井寺市国府1丁目3番47号

原告

津守ふで

原告ら訴訟代理人弁護士

杉山彬

富田林市若松町西2丁目1697の1

被告

富田林税務署長

北居俊夫

右指定代理人

笠原嘉人

外3名

主文

一  被告が昭和52年12月24日付で原告津守光男の昭和49年分の贈与税についてした決定及び無申告加算税の賦課決定を取り消す。

二  被告が右同日付で原告津守光男の昭和51年分の所得税についてした決定及び無申告加算税の賦課決定のうち、総所得金額470万8,679円を超える部分を取り消す。

三  被告が右同日付で原告津守徳雄の昭和47年分及び同48年分の贈与税についてした各決定及び各無申告加算税の賦課決定をいずれも取り消す。

四  被告が右同日付で原告津守徳雄の昭和49年分、同50年分及び同51年分の所得税についてした各決定及び各無申告加算税の賦課決定をいずれも取り消す。

五  原告津守光男のその余の請求及び原告津守ふでの請求をいずれも棄却する。

六  訴訟費用は、原告津守光男と被告との間においては、同原告に生じた費用の2分の1を被告の負担、被告に生じた費用の3分の1を同原告の負担、その余は各自の負担とし、原告津守徳雄と被告との間においては、全部被告の負担とし、原告津守ふでと被告との間においては、被告に生じた費用の3分の1を同原告の負担とし、その余は各自の負担とする。

事実

一  当事者の求めた裁判

1  原告ら

(原告津守光男関係)

被告がいずれも昭和52年12月24日付で、同原告の昭和47年分、同48年分及び同49年分の贈与税についてした各決定及び各無申告加算税の賦課決定、同原告の昭和51年分の所得税についてした決定並びに無申告加算税の賦課決定、同原告の昭和49年分の所得税についてした無申告加算税の賦課決定、被告が昭和53年11月22日付で同原告の昭和49年分の所得税についてした再更正(昭和52年12月24日付でした昭和49年分の所得税についての決定を含む。)をいずれも取り消す、との判決

(原告津守徳雄関係)

主文第3及び第4項と同旨の判決

(原告津守ふで関係)

被告がいずれも昭和52年12月24日付で、同原告の昭和47年分及び同48年分の贈与税についてした各決定及び各無申告加算税の賦課決定、同原告の昭和49年分、同50年分及び同51年分の所得税についてした各決定及び各無申告加算税の賦課決定をいずれも取り消す、との判決

(原告ら全員関係)

訴訟費用は被告の負担とする。

2  被告

原告らの請求をいずれも棄却する、訴訟費用は原告らの負担とする、との判決

二  原告らの請求原因

1  原告津守光男(以下「原告光男」という。)の昭和47年、同48年及び同49年の各年分の贈与税について、被告がした決定及び無申告加算税の賦課決定、異議申立てに対する決定、国税不服審判所長がした裁決の経緯は別表一の(一)のとおりであり、原告光男の昭和49年及び同51年の各年分の所得税について、被告がした決定並びに無申告加算税及び重加算税の賦課決定、異議申立てに対する決定、国税不服審判所長がした裁決の経緯は別表二の(一)及び(二)のとおりである。

2  原告津守徳雄(以下「原告徳雄」という。)の昭和47年及び同48年の各年分の贈与税について、被告がした決定及び無申告加算税の賦課決定、異議申立てに対する決定、国税不服審判所長がした裁決の経緯は別表一の(二)のとおりであり、原告徳雄の昭和49年、同50年及び同51年の各年分の所得税について、被告がした決定及び無申告加算税の賦課決定、異議申立てに対する決定、国税不服審判所長がした裁決の経緯は別表二の(三)ないし(五)のとおりである。

3  原告津守ふで(以下「原告ふで」という。)の昭和47年及び同48年の各年分の贈与税について、被告がした決定及び無申告加算税の賦課決定、異議申立てに対する決定、国税不服審判所長がした裁決の経緯は別表一の(三)のとおりであり、原告ふでの昭和49年、同50年及び同51年の各年分の所得税について、被告がした決定及び無申告加算税の賦課決定、異議申立てに対する決定、国税不服審判所長がした裁決の経緯は別表二の(六)ないし(八)のとおりである。

4  しかしながら、右各決定及び各賦課決定は、原告光男及び原告徳雄の父であり原告ふでの夫である亡津守基治(昭和55年10月30日死亡。以下「基治」という。)が生前別紙物件目録(一)記載の建物の建築資金の一部を原告ら3名(以下「原告ら」という。)に贈与し、同目録(二)ないし(六)記載の土地建物の取得資金の一部を原告光男に贈与したという被告の誤った判断に基づくものであるから、いずれも違法である。

5  よって、右各決定(原告光男の昭和49年分所得税については別表二の(一)備考欄記載の再更正を含む。)及び各賦課決定(いずれも裁決により維持された部分。以下同じ。)の取消しを求める。

三  請求原因に対する被告の認否及び主張

1  請求原因1ないし3の事実は認めるが、同4は争う。

2  原告らは共同で、昭和47年から同48年にかけて、別紙物件目録(一)記載の建物(昭和59年2月21日に所有権保存登記がされるまでは未登記物件であった。以下「津守ハイツ」という。)を建築したが、その建築資金として基治から別表三の(一)の6欄及び同(二)の8欄記載の金員の贈与を受けた。

さらに、原告光男は、昭和49年に基治と共同で別紙物件目録(二)及び(三)記載の土地及び建物(以下「大和センター」という。)を新和産業株式会社(以下「新和産業」という。)から購入した際と、同年単独で別紙物件目録(四)ないし(六)の土地及び建物(以下「木田物件」という。)を木田美代子から購入した際に、各購入資金の一部を基治から別表四のとおり贈与を受けた。

よって、原告らの贈与税について被告がした請求原因記載の各決定及び各賦課決定は、いずれも適法である。

3  原告らに対する津守ハイツ建築資金の贈与についての事実関係は、次のとおりである。

(一)  原告ら及び基治は、昭和47年11月頃、それまで同居居住していた家屋を取り壊してその跡地に共同住宅を建築することを協議計画し、現在原告徳雄が居住している家屋に一時仮住いすることにした。

当時原告徳雄の妻と原告ふでとの間の折合いが悪かったとしても、右のような同居関係からすれば、原告徳雄のみが右建築計画を知らなかったとは到底考えられず、原告らが右計画に関与していたことは明白である。

(二)  原告らは、右協議に基づき、昭和47年11月23日今井建設工業株式会社(以下「今井建設」という。)との間で、発注者を原告ふでほか2名、請負代金額4,900万円、工期を工事許可の日から120日等とする建築工事請負契約を締結した。

(三)  右建築に必要な建築確認申請をするために、原告らは大阪総合設計コンサルタント荒木隆常に対し、同年12月20日付けで各自の実印を押捺した連名の委任状を印鑑証明書と共に交付して当該申請手続の代理を委任し、昭和48年3月6日付けで建築主を原告ら、工事施行者今井建設、用途共同住宅等とする建築確認通知を受けた。

右のように、請負契約書や委任状は、津守ハイツを原告らの所有とすることを目的として作成されたものであり、原告らはその内容について十分熟知していた。また、建築主を原告らとする建築確認通知書があったことにより、原告ら以外の者は津守ハイツの表示登記及び保存登記上の所有者となることはできないのであり、右確認通知書は原告らが津守ハイツの所有者であることを推認させる重大な徴憑である。

(四)  津守ハイツ完成後、藤井寺市は、津守ハイツが未登記物件であるため、固定資産税課税の必要上担当職員をして現地調査をさせたところ、基治から津守ハイツは原告らの所有であるとの答述を得たので、原告らに固定資産税を課したが、これに対し原告らは異議申立てをせず、固定資産税を納付していた。

(五)  以上のごとく、津守ハイツは、原告ら及び基治の協議により原告らの共有とされたが、昭和59年までは未登記であり、原告らの持分登記がなかったので、民法250条により各自3分の1の持分とするのが相当である。

(六)  基治は昭和47年末当時、土地、貸家、預貯金及び有価証券等の財産を相当保有していたが、高齢(78歳)のため、原告光男にこれらの財産の管理運用を委ねていた。基治は、これらの財産は将来相続人となる原告らの財産になるものであることから、基治の資金によって建築される津守ハイツの所有者名は誰になってもよいと考えていた。

(七)  津守ハイツの建築代金の総額は5,112万円であり、その全額が基治の資金から支払われた。もっとも、そのうち3,700万円は、基治が住友銀行藤井寺支店(以下「住友銀行」という。)から借り入れて調達した。

(八)  原告らは、原告光男が大阪銀行道明寺支店(以下「大阪銀行」という。)に開設した基治名義の口座に毎月の津守ハイツの賃料を入金し、そこから住友銀行へ借入金返済のため送金していた。従って、住友銀行からの借入金は実質上原告らが返済していることから、津守ハイツ建築代金に係る資金贈与は当該借入金返済の負担付贈与と考えられる。

また、同口座から原告光男及び原告ふで名義の定期預金へ振り替えられた事実もある。

(九)  津守ハイツの入居者の募集、家賃の集金その他の管理には主として原告光男及び原告ふでが当り、また、原告光男は、管理の一形態として賃貸借契約書に原告ふで名義を使用し、津守ハイツについて原告ふで名義で火災保険契約を締結した。原告徳雄は直接管理には当らなかったが、借入金で津守ハイツが建築されたことを熟知しており、借入金の返済や固定資産税等の諸経費は家賃収入でまかなわれていたから、同原告は原告光男及び原告ふでに委任して津守ハイツの管理に関与していたということができる。

(一〇)  そうすると、津守ハイツの建築のため昭和47年中に今井建設ほかに支払われた522万円の原告らの持分3分の1に相当する各174万円と、昭和48年中に今井建設ほかに支払われた4,590万円から債務負担額3,700万円を差し引いた890万円の原告らの持分に相当する各296万6,667円(原告光男については296万6,666円)は、原告らが基治から建築資金の贈与を受けたものというべきである。

4  原告光男に対する大和センター及び木田の物件の取得費の贈与についての事実関係は、次のとおりである。

(一)  原告光男は、昭和49年2月1日、新和産業から私設市場である大和センターを8,767万円(ただし、うち3,117万円については、当時大和センターの賃借人の差し入れたいわゆる敷金としての保証金の返還債務を肩代りすることによって支払う約定)で購入した。

(二)  同年3月1日、原告光男の持分4分の3、基治の持分4分の1とする大和センターの所有権移転登記がなされた。これは、原告光男が右持分の所有者であることを推認させる重大な徴憑である。

(三)  大和センター購入代金のうち前記保証金に相当する代金額を除いた金額及び諸経費の合計は6,253万4,490円であるので、原告光男の持分4分の3に相当する取得金額は4,690万0,867円となるところ、そのうち原告光男の自己資金2,015万2,230円を差し引いた差額2,674万8,637円は、基治の手持現金及び預金の引出しによるものであり、原告光男が基治から贈与を受けたものというべきである。

(四)  原告光男は、新和産業との交渉をすべて自分で行い、大和センターの売買契約書の買主欄には当初原告光男の氏名のみが記載されていたが、昭和52年11月9日右契約書の写しを被告に提出する前に、原告光男が買主欄に基治の氏名を追加記入した。

(五)  原告光男及び基治は、両名の名義で大和センター内の各店舗を賃貸しており、一部賃借人から賃貸借契約の内容につき債務不履行があるとして、昭和54年4月に両名に対し損害賠償請求訴訟が提起された際にも、被告とされていることについては何ら異議なく両名共応訴している。

(六)  原告光男は、原処分調査時、異議申立て時及び審査請求時に、もし真実持分を有しないのであれば速やかに登記名義を本来の形に戻さないと贈与税が課税される旨被告の担当者等から教示を受けており、しかも基治の印鑑等を自由に使用でき、容易に登記名義の変更ができる状態にあったのに、殊更自己名義の持分登記を残していた。

なお、その後原告光男の持分登記は、昭和55年8月22日受付で錯誤を原因として基治名義に所有権更正の登記がなされたが、これは基治から原告光男に対する持分登記抹消請求訴訟の判決によるものであり、右判決はいわゆる欠席判決の形でなされたいわば馴れ合い訴訟であるから、その真実性にはきわめて疑問がある。

(七)  次に、原告光男は、大和センターに隣接する木田の物件を、昭和49年4月1日木田美代子から代金950万円で購入したが、右代金のうち150万円は基治の手持現金及び預金の引出しによるもので、残額800万円は原告光男振出の約束手形24通で支払われた。

(八)  木田の物件については、昭和50年9月6日原告光男の単独名義で所有権移転請求権仮登記がなされていることからしても、原告光男が取得したとみるのが相当であり、前記150万円は基治から原告光男への贈与となるというべきである。なお、原告光男が右仮登記を基治名義に変更した事実はない。

(九)  以上の結果、昭和49年中に原告光男が基治から贈与を受けたのは、大和センターの取得費のうち2,674万8,637円と木田の物件の取得費のうち150万円との合計2,824万8,637円となる。

5  原告らは津守ハイツについて各自3分の1の持分を有し、原告光男は大和センター及び木田の物件(以下併せて「全大和センター」という。)の建物の床面積割合による76.8%の持分を有しているので、右各物件から生じる不動産所得は、その持分に応じて原告らに帰属するものである。

(一)  原告光男の不動産所得は昭和49年分が42万8,545円、同51年分が558万9,342円であり、その計算根拠は別表五のとおりである。同原告の給与所得は昭和49年分が119万4,000円、同51年分が156万0,800円であるから、同原告の総所得金額は昭和49年分が162万2,545円、同51年分が715万0,142円となる。

(二)  原告徳雄の不動産所得は昭和49年分が172万9,498円、同50年分が174万7,402円同51年分が209万8,586円であり、その計算根拠は別表六のとおりである。同原告の給与所得は昭和49年分が162万3,000円、同50年分が156万3,600円、同51年分が190万8,000円であるから、同原告の総所得金額は昭和49年分が335万2,498円、同50年分が331万1,002円、同51年分が400万6,586円となる。

(三)  原告ふでの不動産所得は、原告徳雄と同じく、昭和49年分が172万9,498円、同50年分が174万7,402円、同51年分が209万8,586円であり、これが原告ふでの各年分の総所得金額となる。

6  よって、原告らの総所得金額の範囲内でなされた請求原因記載の所得税の各決定及び各賦課決定は、いずれも適法である。

四  被告の主張に対する原告らの認否及び反論

1  被告の主張2のうち、別表三、四の支払年月日、科目、支払先、支払金額(別表四の内書を除く。)の各欄記載の事実は認めるが、その余の事実は否認する。津守ハイツは基治が建築し、大和センター及び木田の物件は同人が購入して、いずれも同人の単独所有となったものであるから、建築ないし購入資金の原告らに対する贈与の事実は存しない。殊に、基治夫婦と原告徳雄夫婦とはかねてから不仲であり、基治が原告徳雄に資産を贈与するがごとき意思は全くなかった。

2  同3の(一)の事実中、原告ら及び基治の同居居住の点は認めるが、原告ら及び基治が共同住宅の建築を協議計画したことは否認する。右計画は基治が立てたものであり、これを原告光男が実行に移す過程において、基治はもとより、原告ふで、原告徳雄にも相談することなく独走してしまったに過ぎない。

同(二)の事実中、今井建設との間で発注者を原告らとして建築工事請負契約書を作成したのは原告光男であり、基治は勿論、原告徳雄及び原告ふでも関知しなかった。むしろ、今井建設の担当者としては基治が注文者であると認識しており、このことは契約書冒頭の注文者欄に基治の氏名を記載していることからも明らかである。

同(三)の建築確認申請のための委任状についても右請負契約書と同様、原告光男が勝手に作成したものである。従って、原告らを建築主とする建築確認申請がされていても、右委任状が基治の意思に基づくものではない以上、建築確認申請の名義人が所有者であると推認すべきではない。

同(四)の事実中、藤井寺市の担当職員が基治から事情を聴取したことは否認する。

同(五)及び(六)の事実は否認する。基治は津守ハイツを自己の資金で自己の単独所有とするために建築したものであり、原告らが相続人であるからといって、誰の所有になってもよいと考えていたことはなく、特に不仲であった原告徳雄の所有とする意思は全くなかった。

同(七)の事実は認める。

同(八)の事実中、大阪銀行の基治名義の口座に津守ハイツの家賃収入を入金し、そこから住友銀行へ借入金返済のため送金していたことは認めるが、その余は否認する。基治は自己の資金で建築するからこそ住友銀行から自己名義で借入れをし、津守ハイツが自己の所有であるからこそ大阪銀行に自己名義の預金口座を開設し家賃収入を入金して、住友銀行への返済にあてていたものである。被告の主張によれば、大阪銀行の預金口座を基治名義にしなければならない理由は存しない。なお、右預金口座から原告光男及び原告ふで名義の定期預金に振替えの事実はあっても、原告徳雄についてはかかることがないのも右預金口座が基治のものであった証左である。

同(九)の事実中、原告徳雄が津守ハイツの管理に関与していたことは否認する。基治は津守ハイツの管理を原告光男及び原告ふでに一任していたわけではなく、みずからも管理していたものであり、現に基治が賃貸人として署名した賃貸借契約書が存在し、また入居者を仲介した不動産業者も津守ハイツの貸主は基治であると認識していた。

3  同4の(一)ないし(八)の事実中、大和センター及び木田の物件について被告主張のような登記がされたことは認めるが、その余は否認する。大和センター及び木田の物件は、いずれも基治が買主であったのに、売買交渉に当った原告光男が津守ハイツの場合と同様、基治の意思によらずして勝手に自己名義で購入し、登記手続をしたものであるから、登記名義によって所有者を推認するのは相当でない。なお、木田の物件の代金の一部は原告光男振出名義の約束手形で支払われているが、これらはすべて基治の資金から拠出されている。

4  同5の事実中、別表五の津守ハイツと全大和センター及び別表六の津守ハイツにかかる収入金額、一般経費、減価償却費、支払利息の各総額並びに原告光男及び原告徳雄の給与所得額は認め、その余は否認する。

五  証拠

本件記録中の書証目録及び証人等目録記載のとおりであるから、これらを引用する。

理由

一  請求原因1ないし3の事実は、当事者間に争いがない。

二  本訴の争点は、津守ハイツの建築資金につき基治から原告らへの、大和センター及び木田の物件の購入資金につき基治から原告光男への贈与があったか否かに存するので、以下判断する。

成立に争いのない甲第44、第45、第58号証、乙第3、第5、第6、第8、第11号証、第12号証の1、2、第13号証、官公署作成部分については成立に争いがなくその余の部分については原告光男本人尋問の結果により真正に成立したと認められる甲第48号証、原本の存在並びに今井建設及び原告光男の作成部分の成立については当事者間に争いがなく、その余の作成部分については原告光男本人尋問の結果により同原告が作成したと認められる乙第1号証、原本の存在及び原告光男作成部分の成立については当事者間に争いがなく、原告徳雄の作成部分については原告徳雄本人尋問の結果により同原告が作成したと認められ、原告ふで作成部分については原告光男本人尋問の結果により原告光男が作成したと認められる乙第2号証、原告光男、原告徳雄、原告ふで各本人尋問の結果(原告ふでについては後記採用しない部分を除く。)を総合すれば、次の事実を認めることができる。

1  基治(明治28年4月4日生)と原告ふで夫婦の間には、長女為子(結婚して葉山姓となっている。)、トラック運転手の長男原告徳雄、公務員の二男原告光男の三子があり、基治夫婦の家には昭和43年に結婚した原告徳雄夫婦と原告光男が同居していたが、基治夫婦と原告徳雄夫婦とは折合いが悪く、特に基治は原告徳雄に含むところがあり、昭和44年4月4日には自己の資産を原告ふで及び原告光男の2名のみに遺贈する旨の公正証書遺言をするまでになっていた。昭和45年頃から、基治は面倒な事は自らしないようになり、すべて原告光男に任せるに至ったので、原告光男は基治の印鑑等を保管していた。

2  基治は農業とアパート経営をしており、昭和47年当時自宅の土地建物以外に約40aの農地と木造アパート2棟及び居宅、現金預貯金約5,000万円の資金を有していたが、同年10月頃、自宅を取り壊してその跡地に賃貸マンションを建築する計画を立て、原告ふで及び原告光男にも相談してその賛同を得、原告光男が建築全般の具体的な手続を担当することとなった。

3  基治は自分が建築資金を出す新築マンションを誰の物として建築するかを明示しなかったが、原告光男は同年11月23日今井建設との間で建築工事請負契約書を取り交わすに際し、基治が高齢であることを考え、かつ前記遺言の内容から原告徳雄が相続できる財産がないのを気の毒に思い、新築マンションについては原告徳雄にも何らかの権利があるようにしておこうと判断して、基治に相談しないで契約書の注文者欄に原告ふで、徳雄、光男の3人の氏名を記載する代りに「津守フデ他2名」と記載して自己の印章を押捺し、更に建築確認申請手続のための荒木隆常に対する同年12月20日付委任状にも原告らの氏名を記載し、預っていた各実印を押捺した。

原告徳雄は、マンション建築計画について基治から相談を持ちかけられたことはなく、原告光男からこれを聞知し、基治が自分の物として建築するものと考えていたが、原告光男が原告らの名前にしておいた方が有利であるというので、自己の実印と印鑑証明書を原告光男に手渡した。

昭和48年3月に建築主を「津守フデ(他2名)」として建築確認の通知があり工事に着工することになったので、津守家の全員は当時原告光男の所有名義であった藤井寺市国府1丁目3番28号の家屋を仮住まいとして移住し、同年秋津守ハイツ全29室完成後、基治、原告ふで及び原告光男はその一室に移ったが(その後更に基治の持家に転居した。)、原告徳雄の家族は右家屋に残った。

4  ところで、津守ハイツの建築代金は総額5,112万円であり、その全額が基治の資産から別表三に記載のとおり昭和47年中に計522万円、昭和48年中に計4,590万円が支払われたが、そのうち3,700万円は基治の住友銀行からの借入金によってまかなわれた(この事実は当事者間に争いがない。)。右借入れの手続も原告光男が行なったものであるが、その返済には津守ハイツからの賃料や保証金収入を当てることにしていたため、原告光男は大阪銀行に基治名義の口座を開設し、これに賃料等収入を入金して、そこから住友銀行の基治名義の口座に送金し、右口座からの振替えによって右借入金を返済していった。なお、入居者の募集には原告光男と基治が当り、賃料は原告光男が主として集金し、原告ふではこれを手伝うと共に津守ハイツの掃除をしていた。しかし、原告徳雄は津守ハイツの家賃を取得したことも、固定資産税を支払ったこともない。

5  津守ハイツ建築後、原告光男は基治に対し、時節柄預貯金の目減りを防ぐために不動産に替えておいた方が良く、それも賃貸店舗としての市場が適当ではないかと勧めたところ、同人はこれを受け入れ、原告光男に一切の手続を任せた。原告光男は、物色の末、昭和49年2月1日既に小売業者が入居している私設市場の大和センターを新和産業から購入することとしたが、売買契約書の作成に当っては、基治に相談することなく、万一売主や賃借人との間にトラブルを生じた場合には一人で対処できるように自分が買主となった方がよいのではないかと考え、買主欄に自己の署名押印をした(甲第44号証。なお同じ契約書である乙第4号証にはこれと並んで基治の氏名と押印があるが、これは原告光男が審査請求の段階で2人の名前にしておいた方が有利ではないかと思って記入押印の上提出したものである。)。更に原告光男は、同年4月1日大和センターと1棟の建物を構成するが木田美代子の所有となっていた店舗、居宅及び敷地(木田の物件)を買い足すことにし、同人との間で前同様自己名義でその旨の売買契約を締結した。

6  大和センターの取得費用は別表四記載のとおり合計6,253万4,490円、木田の物件の取得費用は合計950万円で、総額7,203万4,490円であったが(この事実は当事者間に争いがない。)、これらはすべて実質的に基治の資産から原告光男によって支払われた。

なお、原告光男は、大和センターの登記に際し自分一人に権利があるようにするのもどうかと考えて、格別の根拠もなく自己の持分4分の3、基治の持分4分の1の共有名義により同年3月1日所有権移転登記を受けたが、木田の物件については昭和50年9月6日に自己の単独名義で所有権移転請求権仮登記(乙第11号証、第12号証の1、2の各登記簿謄本に津守「岩男」とあるのは「光男」の誤記である。)をするに止まった。

7  その後、被告が津守ハイツの建築資金及び全大和センターの取得資金につき基治から贈与があったとして本件各決定をするに至ったため、原告光男は原告ふで、徳雄の意向も受け、これら物件は基治の所有であると主張して異議申立てを行うことになったが、これに伴い原告光男がした一連の行為が基治にも知られるに至った。

原告光男は、異議申立て後である昭和53年5月9日付作成の津守ハイツの正当な所有者は原告ふで及び原告光男である旨の基治、原告ふで及び原告光男の3名連署の書面(乙第8号証)並びに大和センター(木田の物件を含む趣旨と解される。)の真実の所有者は基治である旨の基治及び原告らの4名連署の書面(甲第48号証)を、翌10日被告に提出した。右乙第8号証の作成に際し、原告光男としては、津守ハイツは原告徳雄を含めた原告ら3名の所有である旨の内容にして、原告らが基治から資金を借りて津守ハイツを建築したものであると主張するつもりであったが、基治の意向を聞いたところ、同人は原告ふで、原告光男の所有であるとすることには格別異を唱えなかったものの、所有者に原告徳雄を含めることに対しては強硬に反対したので、原告光男はやむなく原告徳雄名義を外して前記の文面を作成した。そして、原告光男はその後の審査請求の段階で、当初の主張を右乙第8号証に基づき原告ふで及び原告光男が基治から資金を借りて津守ハイツを建築した旨の主張に変更したが、さらに、これでは主張が首尾一貫しないと考えて真の所有者は基治であると再び主張を変更している。

なお、基治は昭和55年10月30日に死亡したが、長男の原告徳雄でなく、二男の原告光男が喪主を勤めた。

以上の事実が認められ、右認定に反する原告ふで本人の尋問結果の一部は採用しがたい。

右認定の事実によれば、基治は、津守ハイツについては、原告ふで、光男の所有とすることを黙示的に了解して建築資金を出捐したが、原告徳雄を所有者とする意思は全くなかったものというべきであり、また全大和センターについては、自己の所有とするため購入資金を出捐したもので、原告光男を所有者とするつもりではなかったというべきであって、津守ハイツに関しては、基治から原告ふで、同光男に対する建築資金の贈与を肯認し得るが、原告徳雄に対する贈与は認められず、また全大和センターに関しては、基治から原告光男に対する購入資金の贈与は認めがたい。

三  ところで、原告ら及び被告の各主張には右認定に反する部分があるので、以下順次検討することとする。

1  被告は、原告らの申請に基づき津守ハイツの建築確認通知がされていること並びに原告光男名義での大和センターの所有権移転登記及び木田の物件の所有権移転請求権仮登記がされていることは、右名義人が真の所有者であることを推認させる重大な徴憑であると主張する。確かに【A】一般論としては、資金出捐者が対価を得ずに第三者名義で不動産を取得した旨の登記を経た場合には、そのような登記が作出されるについて出捐者の意思が関与しているのが通常であるから、そこに出捐者の第三者に対する贈与意思が顕現されていると見るのが経験則に合致すると思われる。そして、右の経験則は、資金出捐者が第三者名義で不動産を取得したが仮登記を経たに過ぎない場合や、第三者名義で建築確認通知を得て建物を建築したが保存登記をするに至っていない場合にも妥当するということができる(建築確認通知書はその申請人の建物所有権の取得を証する一資料として、建物の表示登記をする際に必要なものであり、表示登記において表題部に所有者と記載された者は他の資料を要せずして保存登記を申請できることになる。)。しかしながら、資金出捐者の意思が関与せず、殊に出捐者の意思に反するような経緯によって第三者名義の登記や状況が作出された場合には、右経験則は必ずしも適用されないというべきである。本件についてこれをみると、原告光男は昭和45年頃から基治の印鑑等を預って自ら諸々の手続に携わってきたものであり、津守ハイツ建設工事請負契約の締結、建築確認申請手続の委任、全大和センターの購入といった手続はすべて原告光男によって行われ、しかも津守ハイツの工事注文者に原告徳雄を加え、大和センターの登記名義を基治と原告光男の共有とし、木田の物件の登記名義を同原告とするについては原告光男の恣意が介在していたことは既に認定したところであり、右事実に照らすと、本件においては安易に被告主張のような推認をすることは避けるべきである。

2  被告は、藤井寺市吏員が固定資産税課税のために現地調査をした際、基治から津守ハイツは原告らの所有であるとの答述を得た旨主張し、成立に争いのない乙第9号証には右主張に沿う右吏員の供述が記載されており、その内容は同人において原告らの名前の読み方を基治に尋ねたなどかなり具体的である。しかしながら、基治の遺言の内容、基治の葬儀の際に原告光男が二男でありながら喪主を勤めたこと、津守ハイツ建設について原告徳雄は基治から何ら相談を受けなかったことなどからすると、基治と原告徳雄とが不仲であったことは明らかであり、当時の状況からして基治が原告徳雄にも津守ハイツを所有させる意思であったとは到底考えられないこと、さらに、右吏員の質問内容を高齢の基治がよく理解して答えたかについては疑問があること(例えば、基治は原告らの名前の読み方という簡単なことについてはすぐに答えたものの、それ以外の質問については明確な返答をしなかったとも考えられる。)に照らして、乙第9号証の内容はにわかに採用し難く、他に基治が原告徳雄にも津守ハイツを所有させる意思があった事実を認めるに足りる証拠はない。

3  被告は、大和センター購入資金の一部2,015万2,230円及び原告光男振出の約束手形24通で支払われた木田の物件の残代金800万円は原告光男の自己資金によってまかなわれた旨主張する。しかしながら、成立に争いのない乙第26号証、原本の存在及び成立に争いのない同第37号証の1、2、第38号証の1ないし18、第39号証の1ないし26、第40号証の1ないし6によれば、別表四の3及び7欄記載の原告光男の自己資金とされている金員は三和銀行阿倍野橋支店の原告光男名義の普通預金口座から引き出されているが、これは基治が原告光男双方の預金が混合された口座であって右出捐が原告光男の自己資金によるものであるとの確証は得られないこと、同表5欄記載の原告光男の自己資金とされる1,650万円は住友銀行の原告光男名義の当座預金口座から支払われているが、これは基治の借名預金であり、しかも右支払には大和センターの賃料収入が主として当てられていること、同表14欄記載の木田への800万円の支払は大阪銀行の原告光男名義の当座預金口座からなされているが、これも基治の借名預金であって右支払には大和センターからの賃料収入が主として当てられたことがそれぞれ認められ、また、本件全証拠によっても、津守ハイツからの保証金、賃料等の収入が全大和センター購入資金に当てられたことを窺わせる事実は認められないところ、更に、前出乙第13号証によれば、基治は自己の借名定期預金を解約し、原告光男名義で他の銀行へ預けかえて借入金の担保として差し入れ、その後弁済金に充当した事実が窺えること、既に認定した如く、津守ハイツ建築のために津守家全員が移り住んだ居宅は原告光男の所有名義となっていたが、その後原告徳雄の家族のみが居住して今日に至っていること等の事実を勘案すると、原告光男名義の資産が実質的にも同原告に帰属するものと速断することはできないのであって、原告光男が高額の自己資金を出捐した旨の被告主張事実はこれを認めるに足りない。

なお、前出甲第48号証は、全大和センターが基治の単独所有であるとの事実を明らかにする重要な書証であると思われる。これと同一機会に作成された前出乙第8号証は、津守ハイツの共有者に原告徳雄を加えることを基治が承諾しなかったので原告光男と原告ふでの共有であることを明らかにしたものであって、その作成目的は、右原告両名が基治から資金を借りて津守ハイツを建築した旨被告に対し主張するためであったのであり、事実、後日原告光男はそのような主張をするに至っている。ところで、全大和センター購入資金の一部について基治から原告光男への金員の流れがあったとすれば、これについても原告光男が借り受けたにすぎないとの主張を前提にした文言が甲第48号証に記載されてよいはずであるが、そうではなく全大和センターの所有者は基治である旨が記載されていることは、当時、本件不動産の真の所有者が誰であるかが問題になっていることを知った基治が、右書面2通の作成に際して、自己の意思を明確に表明した結果であると推測されるのであり、したがって、前出甲第48号証は乙第8号証と共に津守ハイツ建設計画段階から全大和センター購入に至る過程における基治の真意が表わされているものとみてよいと思われる。

もっとも、基治が津守ハイツと全大和センターについてこのような異なった態度をとった理由は証拠上明確ではなく、津守ハイツの建築資金の7割以上が銀行からの借入金であるのに対して全大和センターにはこのような負担のないことがその理由の一つではないかとも考えられるが、推測の域を出ない。また、全大和センターを基治の所有とすることは、いずれ相続の結果基治が嫌っていた原告徳雄も右物件の持分を有するに至ることを意味するが、この点を基治がどのように考えていたのか、更に、遺留分制度について基治がどの程度の知識を有していたのか、いずれも明らかではない。しかしながら、右の如き疑問が存するにもかかわらず、なお、前出甲第48号証及び乙第8号証は、基治の真意を知ることのできる唯一かつ確実な証拠というべきである。

4  被告は、基治及び原告光男が昭和54年に大和センターの賃借人から債務不履行による損害賠償請求訴訟を提起された際に、原告光男は自分が被告とされていることに何ら異議なく応訴していることをもって、原告光男が真の所有権者であることの一徴憑であると主張する。成立に争いのない乙第14、第15号証によれば、原告光男は右訴訟の第一審では、同人が基治と共に大和センターを取得し賃貸人の地位を承継した旨の請求原因事実を認めていたこと、昭和56年8月10日に第一審判決が言い渡された後、控訴審において、原告光男は右自白を撤回し基治のみが買受人である旨述べたことがそれぞれ認められる。そして、原告光男は、右訴訟が提起された頃には、右訴訟における自己の陳述が国税不服審判所長の裁決に及ぼす影響についてまで思い至らなかったものの、本訴提起後である右訴訟の控訴審段階に至って、右陳述が本訴に及ぼす影響に懸念を抱いて自白を撤回したものと推測されるところ、そもそも原告光男が自己の持分4分の3とする大和センターの所有権移転登記を作出したのはかような紛争の発生をも予想したからであったことを考えると、原告光男の第一審での応訴態度は至極当然のものと思料されるのであって、被告主張のように、右応訴態度をとらえて原告光男が真の所有者である一徴憑とすることはできない。

5  被告は、原告光男が、もし真実の所有者でなければ登記名義を本来の形に戻すように再三被告の担当者等から教示を受け、また、容易に登記名義の変更ができる状態であったにもかかわらず、速やかにこれに応じなかった旨主張する。確かに、原告光男本人の尋問結果から明らかなように、同原告の行動には、被告に対する主張を二転、三転させたり、昭和55年には大和センターの登記を基治の単独所有とするために、自ら弁護士に依頼して基治を原告、自分を被告とする更正登記手続請求訴訟を提起させ、そのいわゆる欠席判決に基づいて錯誤による更正登記を申請するなど非常識な行為が目につくが、これは原告光男が諸般の事情を考えすぎて自縄自縛に陥った結果このような尋常でない行為に走ったとも思われるのであり、大和センターの所有名義を速やかに基治の単独所有に変えなかったのも、その変更が裁決その他に及ぼす影響をあれやこれやと考えすぎて日時を徒過したためであると解することもできるのであって、被告主張事実をもって原告光男の所有を推認する徴憑とすることはできない。

6  原告らの反論中、今井建設の担当者が誰を津守ハイツ建設の注文者と認識し、入居者を仲介した不動産業者が誰を津守ハイツの賃貸人と認識していたかは、当裁判所の前記認定に何ら影響するものではない。また、原告光男本人尋問の結果により真正に成立したと認められる甲第1ないし第3号証によれば基治自ら賃貸人として作成した契約書が存在することが認められるが、他方、原告光男本人尋問の結果及び弁論の全趣旨により真正に成立したと認められる甲第4、5、12、16、17、19、20号証によれば、原告光男が原告ふで名義で作成した賃貸借契約書や原告光男が基治を貸主として作成した契約書が存在することが認められるのであり、賃貸借契約書の記載は津守ハイツの所有権者の認定について決め手となるものではない。更に、原告らは住友銀行からの借入れ、大阪銀行の口座開設、定期預金への振替えは基治が自らしたものである旨主張し、原告ふで本人尋問の結果中には住友銀行からの借入れ手続を基治がした旨の供述があるが、原告光男本人尋問の結果に照らして採用できず、他に右主張を認めるに足りる証拠はない。

四  そこで、津守ハイツ建築に際して原告光男及び同ふでが基治から贈与された金額について検討するに、右建築のため昭和47年分として522万円、同48年分として4,590万円が支出されたことは当事者間に争いがなく、前記認定によれば右金額の贈与が右原告らに対してなされたこととなるが、昭和48年分については住友銀行からの借入金3,700万円(当事者間に争いがない。)返済の負担を右原告らが負っているので、これを差し引いた890万円が同年分の実質的な贈与金額である。ところで、津守ハイツの持分割合については、原告光男及び原告ふでの間に何らかの合意が存したことを認めるに足りる証拠がないから、各自が2分の1ずつの持分を有するものと推定すべく、これによれば原告光男及び原告ふでは右金額の2分の1ずつの金額即ち各自が昭和47年分として261万円、同48年分として445万円の各贈与を基治から受けたというべきである。

してみると、被告主張に係る原告光男及び原告ふでの昭和47年分及び同48年分の贈与価格はいずれも右金額よりも少ないから、右原告両名の右両年分の贈与税について被告がした決定及び無申告加算税の賦課決定はいずれも適法であるが、原告光男の昭和49年分の贈与税については、全大和センターの取得資金にかかる贈与の事実を認めるに足りないので、被告がした決定及び無申告加算税の賦課決定は違法であり取消しを免れない。また原告徳雄については、同原告に対する津守ハイツの建築資金にかかる贈与の事実を認めるに足りないので、同原告の昭和47年分及び同48年分の贈与税について被告がした決定及び無申告加算税の賦課決定はいずれも違法であり取り消されるべきである。

五  次に、原告らの所得税について被告がした各処分の適法性につき検討するに、昭和49年分から同51年分までの津守ハイツにかかる収入金額、一般経費、減価償却費、支払利息の各総額並びに原告光男及び原告徳雄の給与所得金額については、当事者間に争いがない。

ところで、原告光男及び原告ふでは津守ハイツからの収入の2分の1ずつを得、必要経費の2分の1ずつを負担することとなるので、右両名の不動産所得金額は、各自昭和49年分259万4,248円、同50年分262万1,103.5円、同51年分314万7,879円となる。したがって、原告光男の昭和49年分の総所得金額は378万8,248円となり被告主張額よりも多額であるから、同原告の同年分の所得税について被告がした決定及び無申告加算税の賦課決定は適法であるが、同原告の昭和51年分の総所得金額は470万8,679円であるから、同原告の同年分の所得税について被告がした決定のうち右金額を超える部分は、原告光男の所得を過大に認定したもので違法であり、また、右所得税について被告がした無申告加算税の賦課決定のうち右金額を超える部分に対応する部分も違法である。

原告徳雄については、同原告に不動産所得が生じた事実を認めるに足りる証拠はないから、同原告の昭和49年ないし同51年の各年分の所得税について右不動産所得を認定して被告がした決定及び無申告加算税の賦課決定はいずれも違法である。

原告ふでの昭和49年ないし同51年の各年分の総所得金額は前記不動産所得金額と同額であるところ、被告主張に係る原告ふでの右各年分の総所得金額はいずれも右金額よりも少ないから、同原告の右各年分の所得税について被告がした決定及び無申告加算税の賦課決定は、いずれも適法である。

六  以上によれば、原告らの本件各請求は、被告がした各決定及び各賦課決定のうち、原告光男の昭和49年分の贈与税にかかる部分、同原告の昭和51年分の所得税にかかる部分のうち総所得金額470万8,679円を超える部分、原告徳雄の昭和47年分及び同48年分の贈与税並びに同原告の昭和49年ないし同51年の各年分の所得税にかかる部分の各取消しを求める限度において理由があるからこれを認容し、その余は失当であるから棄却することとし、訴訟費用の負担につき行政事件訴訟法7条、民事訴訟法89条、92条を適用して、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 青木敏行 裁判官 古賀寛 裁判官 梅山光法)

物件目録

(一) 藤井寺市国府2丁目427番地1

家屋番号 427番1

鉄骨造陸屋根4階建共同住宅

1階 245.83m2

2階 245.83m2

3階 245.83m2

4階 187.46m2

(二) 奈良市学園大和町1丁目1番5

宅地 977.47m2

(三) (1棟の建物の表示)

奈良市学園大和町1丁目1番地5、1番地6、1番地7

軽量鉄骨造瓦棒葺地下1階付3階建

1階 973.54m2

2階 508.88m2

3階 26.82m2

地下1階 322.00m2

(専有部分の建物の表示)

家屋番号 学園大和町1丁目1番5

軽量鉄骨造地下1階付3階建店舗居宅倉庫

1階 866.18m2

2階 407.08m2

3階 26.82m2

地下1階 270.88m2

(四) 奈良市学園大和町1丁目1番6

宅地 104.56m2

(五) (1棟の建物の表示)

(三)に同じ。

(専有部分の建物の表示)

家屋番号 学園大和町1丁目1番6

軽量鉄骨造1階建店舗 61.16m2

(六) (1棟の建物の表示)

(三)に同じ。

(専有部分の建物の表示)

家屋番号 学園大和町1丁目1番6の2

軽量鉄骨造1階建居宅 59.06m2

以上

別表一の(一) 原告光男の贈与税等課税経過表

〈省略〉

別表一の(二) 原告徳雄の贈与税等課税経過表

〈省略〉

別表一の(三) 原告ふでの贈与税等課税経過表

〈省略〉

別表二の(一) 原告光男の所得税等課税経過表 昭和49年分

〈省略〉

別表二の(二) 原告光男の所得税等課税経過表 昭和51年分

〈省略〉

別表二の(三) 原告徳雄の所得税等課税経過表 昭和49年分

〈省略〉

別表二の(四) 原告徳雄の所得税等課税経過表 昭和50年分

〈省略〉

別表二の(五) 原告徳雄の所得税等課税経過表 昭和51年分

〈省略〉

別表二の(六) 原告ふでの所得税等課税経過表 昭和49年分

〈省略〉

別表二の(七) 原告ふでの所得税等課税経過表 昭和50年分

〈省略〉

別表二の(八) 原告ふでの所得税等課税経過表 昭和51年分

〈省略〉

別表三(一) 昭和47年分 津守ハイツ建築代金の贈与明細表

〈省略〉

(二) 昭和48年分 津守ハイツ建築代金の贈与明細表

〈省略〉

別表四 昭和49年分 大和センター及び木田物件の取得資金贈与明細表 (注)内書は原告光男の自己資金

〈省略〉

別表五 原告光男の不動産所得の金額計算表

〈省略〉

別表六 原告徳雄、同ふでの不動産所得の金額計算表 単位円

〈省略〉

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